昔のニュース、今の記録

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
もしよろしければ Twitter, Facebook, はてな のいずれかにログインしてコメントをお寄せください

カンボジアの日本橋 (3) 日本橋の復活

ところで、カンボジアが和平に向けて動き出したころ
プノンペンの日本橋はどうなっていたでしょうか?

(1)で書いたとおり、1970年代に日本橋は爆破されましたが、
実は1990年代に入っても修復されないままでした。
内戦で疲弊したカンボジア政府には、
橋を修復する資金も技術もなかったのです。

1992年、カンボジア政府は日本橋修復計画を立て、
日本政府に協力を要請しました。
プノンペン駐在の今川大使が要請を受け入れ、
1992年9月26日、日本橋の修復は正式に決定しました。

渡辺史遍さんのカンボジア派遣が新聞記事になってから
ちょうど10日後のことです。
息子の“帰還”と時をほぼ同じくして、
父が造った橋は再建されることになりました。

政府は二十六日、カンボジアのプノンペンにある
チュルイ・チョンバー橋(通称・日本橋)の修復計画に
二十七億九千四百万円の無償資金協力を行うことを決め、
同日プノンペンで今川幸雄大使と
カンボジア最高国民評議会(SNC)議長のシアヌーク殿下が
書簡を交換した。

この橋は、日本とカンボジアとの経済技術協力協定に基づいて、
日本の資金協力で一九六三年に完成したが、
内戦さなかの七二年に爆破された。
プノンペンとカンボジア北東部の農耕地域を結ぶ幹線国道にかかっている。
全長七百九メートルのうち、
中央部分の二百六十五メートルが寸断されたままになっていた。




日本橋修復作業のドラマは、NHKの「プロジェクトX」で取り上げられました。

大量虐殺と内戦で多くの技術者を失った国、
テロが頻発するなかでの工事は、予想以上に困難だったようです。

日本から橋桁を輸送していた船が、台風に遭遇する
というアクシデントにも見舞われます。

それでも、工事はペースを上げて続行され、
1994年2月26日、ついに日本橋が復活しました。

修復といっても、従来の素材は使えない。一からの作業だ。
受注した日本の企業はカンボジアの人々のニーズを感じ、
この国の真の復興を願いつつ一日も早い開通を目指した。
こうして約1年半後の94年2月26日、橋は開通、
新憲法で王位に就いたシアヌーク国王によって
「日本カンボジア友好橋」と命名された。

開通式の当日、橋の入り口には日本とカンボジアの国旗が、
現地の人々自らの手によって掲げられた。
人々は新しい時代の到来を肌で感じ、いさんで開通式に出掛けた。
そして国王は、出来上がった橋を前に
「日本の善意によって架けられた橋なのだから、この橋を通る者はきちんと交通道徳を守ろう」
と、国民に呼び掛けたのである。
鶴の一声というべきか、もともとあまり交通規則を守らない
カンボジア人ではあるが、徐々に交通道徳は守られてゆき、
開通3日目には、中央2車線は車、両横はモーターバイク、
両端は人と水牛用、という交通規則が出来上がった。

続いて対岸では、やはり日本の無償協力によって修復された、
コンポンチャムに通じる国道A6号線が、橋の入り口まで延び、
カンボジアの大動脈となった。
道路1本、橋1本がカンボジアを大きく変えた。
プノンペン市民と対岸の村人とが頻繁に往来、経済活動が活発になったのである。
治安はすっかり良くなり、ベッド・タウンとなった村には多くの市民が移り住んだ。
そして、対岸の村に出没していたクメール・ルージュのゲリラがすっかり影を潜めた。
「武器をもってゲリラを退けるのではなく、経済協力をすることで国を再生し平和を得るのは、
日本ならではの協力の在り方」と、他国の大使たちは口を揃えて賞讃した。

予想外な成果もある。国道A6号線沿いに200軒以上のレストランが
軒を連ねるようになったことだ。
高級な店は華やかな趣向を凝らした明りをつけてアピールする。
星を眺めながらの露店式の庶民的な店は、
愛想の良い笑顔と音楽とで客を呼び込む。
実に多様な店が競うように建ち並び、
毎晩プノンペン市民も村人も賑やかに繰り出しているのである。
戦争が終わったばかりの国では、
こうした健全な楽しみを持つことはとても大切である。
人々の気持ちが安定するからだ。

現地の人の雇用を生んだことも、大きな効果である。
1軒当り平均5人雇ったと計算しても、農業以外
これといった産業がないカンボジアでは、大変な数である。

あるレストランのオーナーはこう語る。
「もう治安に不安はない。ここで遅くまで
飲んだり食べたり踊ったりする人が多いのが、その証しですよ。
平和になった幸せを皆感じているんです」

的を得たインフラの整備は、確実に国を復興させるのである。
今も橋のたもとに翻る両国の国旗が、
カンボジアの人々の日本への気持ちを表してくれている。




日本とカンボジアの間で人が往来し、互いに恩恵を施し、報答しました。

行動の原動力が自己実現の欲求や経済的利益の追求であったとしても、
また、国際的な利害関係が背景にあったとしても、
多くの人が幸福になったことは紛れもなく事実なのでした。
関連記事
もしよろしければ Twitter, Facebook, はてな のいずれかにログインしてコメントをお寄せください
About me

mogx2 (もぐもぐ)

mogx2 (もぐもぐ)
つくばに隕石が落ちた直後に生まれたらしい。

Recent posts
Calendar
09 | 2017/10 | 11
日 月 火 水 木 金 土
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
Monthly archives
Categories
Tag cloud
Search
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。